住まい雑感:7つの部屋 - デザイン! News:So-net blog
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引き算の家、足し算の家 [ 住まい雑感]

夢いっぱいの家を考えていたのに、設計が進むに連れ、いつの間にか「ふつうの家」になってしまう...。こういうことは、結構多いようです。

今では書籍やインターネットを利用して、かなり詳しい家づくりの情報を手に入れることができます。「こういう材料を使うと病気になりやすい...」「こういう間取りだと子供が非行に走りやすい...」「こうするとお金持ちになれない...」など...一種のノウハウ本的なものもたくさんあります。

こういう本は、知識としてかなり優れた情報を与えてくれるのですが、これらの情報総てに合致するように...と考えると、と単に「ふつうの家」になってしまいます。「ふつう」が悪いわけではなくて、それを望んで、自らの意志で作っていくのなら、それは素晴らしいことだと思います。でも、あれもいけないこれもいけない...的にいろいろ切り捨てていった結果、「ふつう」になってしまった家は、果たして住んで楽しい家なのでしょうか。

[2002.12]


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炎の色 [ 住まい雑感]

今日はクリスマスイブ。家族揃って、ケーキの上のロウソクに火を着けて...暗い部屋の中で、お互いの顔が炎の明かりに浮かび上がって、いつもと違う雰囲気が漂っていますよね。

炎には不思議な力があって、人々を引き寄せていきます。それは多分、原始時代から、炎の周りに寄り添いながら、獣や寒さから身を守ってきた、人の遺伝子に書き込まれていった記憶のなせる技なのでしょうか。

炎を見ていると、なんだか元気になってきませんか? 炎は、エネルギーも与えてくれます。この時期の行事には、クリスマス(キリスト教以前からの)や花祭りのように、洋の東西を問わず、弱った太陽を元気づける意味あいのものが多いのですが、炎は重要な役割を担っているようです。

寒く心細いこの時期だからこそ、今日、ケーキの前で、家族揃ってロウソクに火を着けるのって、実はとても大切なことなんですよね。

暗い室内で、炎に浮かぶ相手の顔を見るためには、距離が近づかなければなりません。低く中心性を持つ光源は、陰影を際だたせ表情を豊かに見せてくれます。炎の揺らめきは、空間に変化を与えます。そしてなにより、料理を美味しく見せ、人の顔を元気そうに見せてくれます。

囲炉裏や暖炉の効果って、まさしくそんなところなんでしょう。その上、煮炊きをしたり、薫製を作ったり...「食」という生活の場とも結びついています。

危険という理由で、炎を遠ざける傾向が見られますが、人は炎をコントロールすることで、人になったわけですから、炎を安全に扱う術を学んでいくべきなんだと思います。

家族で炎を眺める場が、あってもいいような気がしてきませんか?

[2002.12]


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心を使う家 [ 住まい雑感]

今の時代、心を使う代わりに物やお金で解決しようとしてしまうことが多いのではないでしょうか。便利になれば、人間関係が希薄になるのは当然です。

それは、住まいについても言えることで、汚れにくく、手入れが楽になれば、それだけ住まいと住み手の関係は、希薄になっていきます。

昔の人達は、楽をしない代わりに、楽しくする工夫をしていたと思います。掃除や修繕が、一つのイベントになってしまうように...。お祭りなんかも、そういった要素が大きかったのではないでしょうか。田植えや収穫は重労働です。でも、それを楽しくやりたい。場合によっては、普段以上の力を出したい...。そんな知恵を感じます。住まいについても同じで、重労働を楽しみに代える知恵を持ちたいものです。

心のエネルギーを節約することが便利だと思ってしまっている現代、もっと大切なことを失っているような気がします。

[2002.12]


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モンゴルの祭壇 [ 住まい雑感]

先日、椎名誠氏の講演会の中で、モンゴルの家庭では、祭壇に「家族の写真」を飾っているという話しを聞きました。

モンゴルは、もともとラマ教の国なのですが、社会主義国になって、偶像崇拝が禁止された際、像に代わって、家族の写真をそこに置いたそうです。現在は社会主義国でなくなって10年ほど経ちますが、まだそういった習慣が続いているそうです。

そこに、拝むべき対象が無くなった時、どうするのか...。いろいろな選択肢が考えられたと思います。拝むことをやめてしまうこともできたでしょうし、家族の写真以外のものを対象にすることもできたでしょう。でも、そこで「家族の写真」を選んだ、ということが素晴らしいと思いました。このことが、人が手を合わせる根元的なものが「家族」である...そんなことを物語っているように思えたからです。

[2002.12]


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「家」の役割 [ 住まい雑感]

至るところに神が潜んでいた時代のことを考えると、今はなんとも神様の隠れ場所が無くなっています。(神様に代わって人が潜む、物騒な世の中になってしまいました。)

家の中にも、かつては多くの神様の隠れ場所がありました。夜ギシッと鳴る屋根裏やちょっと離れたトイレにも神様は居たものです。台所にも座敷にも...

そんな神様たちは何時の間にやら居なくなってしまって、それに伴って、私たちが「家」に対して抱くイメージも、幅の狭いものになってきているようです。

機能的な部分ばかりに注目して、心の在りようから見た「家」というものが、なおざりになっているのではないでしょうか。

何か嫌なことがあった時、自分を慰めた場所が、街からも家からも亡くなっているのは、人々が自分の街や家に、居場所を求めていない...そんな気さえしてきます。

いったい何時から神様は、街や家の中から居なくなってしまったのでしょう。

日本の住宅の間取りの歴史的な変化を見ていると、あることに気づきます。

今から150年程前、日本人は今とまったく異なったスタイルの住まいで生活していました。
当時の日本の家屋には、「居間(リビング)」「食堂(ダイニング)」「寝室(ベッドルーム)」といった、機能上の名前の付いた部屋はありませんでした。

土間とか奥の部屋といった具合で。実際、一つの部屋を寝室にも居間にも使っていたので、機能上の名前を付けることができなかったのです。

一つの機能を求められた部屋は、その機能以外のことは省かれていってしまいます。一つの機能を求めらなかった昔の日本の住まいは、神様が隠れる余地が、十分に残されていたのでししょう。

[2002.12]


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「引き隠り」と八百万の神 [ 住まい雑感]

「引き隠り」が社会問題になって久しくなります。外に出たがらない子供に対して、厳しい態度で臨む親が多い中、そうした子供と接するうちに、やがてある種の才能を見いだしていく親もいるようです。

引き隠る子供たちの多くは、感性豊かな子だと聞きます。豊かな感性が、情報化社会とも競争社会とも呼ばれる今の日本に対して、一種の生命に対する危機感を感じ取っているのかもしれません。

ある意味、今の日本の社会には、そういった優れた感性を受け入れるだけの、包容力が欠如しているのかもしれません。

かつての日本には、様々な価値観を受け入れるだけの、社会の多様性があったのではないでしょうか。

その昔、日本には「八百万(やおよろず)の神」が住んでいたといいます。そのことは、日本という国が多様な価値観を共存させていたことを物語っています。森には様々な神様が祭られ(トトロのように?)、神様も森の中で上手に住みわけしていてたりします。家の中にも神様は住んでいて、アチコチで見守ってくれていました。

ところが今は、明治の合祀令によって、一町村に一社が標準となり、以前の神社の1/10になってしまったらしいのです。それは考え方によっては、日本での価値観の多様性や包容力が、急速に縮小していったことを物語っているような気がします。

江戸時代までは、自分(の価値観)に合った神様に守られていた子供達が、なんか急に心細い感覚を持つようになったかもしれません。

そして今、鎮守の森が駐車場に変わり、そういった所で遊ぶ機会を失った子供達は、さらに幅の狭い価値観の世界へと、追いやられているのかもしれません。

[2002.12]


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今見える風景 [ 住まい雑感]

自分が幼い頃遊んだ遊び場は、もう残っていません。昔あった公園の砂場やブランコ、シーソーは、今では都市の公園らしく、芝生とベンチ、それに舗装された通路になっています。神社の境内も駐車場になっていて、夏休みの早朝ラジオ体操の場所はなくなってしまいました。

きっと私の子供は、全く違った空間で遊ぶことになるのでしょう。シーソーの真ん中でバランスをとったり、尾てい骨をしこたま打ってひっくり返ることもなく、ブランコから飛んだ距離を競うこともなく、木から落ちたり、頭をぶつけることもなく、服を破ったりパンツまで泥だらけにすることもないのでしょうか...

今、自分の家の窓を開け、辺りを見渡して、見える風景の中で、もっとも古いものは何年位前のものでしょうか? 

京都や奈良、高山などといった、歴史的な建物が保存されている所をのぞいて、ほとんどの所が、せいぜい20~30年といったところではないでしょうか? 

都市部における風景の変化は、甚だしいものがあるのは当然としても、地方においても、バブル期以降、風景を変えてしまっていると思います。

このように、歴史的な連続性のない日本の風景は、ちょうど親と子の間に、故郷のイメージを共有できないことを、証明しているのではないでしょうか。

[2002.12]


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「故郷」としての「home」 [ 住まい雑感]

「home」には、「故郷」という意味もあります。「うさぎ追いし..」 で始まるあの歌では、歌詞の1番で故郷の自然を懐かしみ、2番で故郷の人々を思い浮かべています。つまり故郷には「空間」と「人間(社会)」の両方が関係してい て、当然、過去を思っているわけですから、「時間」というものも関係しています。

そうしたことを意識して、「home」としての家を考えたとき、部屋などの空間としての故郷であり、同時に、共に生活をする人々といった意味での故郷でもあわけです。「home」はまさに、小さな故郷なのです。そしてそれは、人生において最初出会う空間であり、最初に出会う人々ということで、最も根源的な故郷と言えると思います。

「住まいは故郷」...それが、住まいを考える上で、最も大切なことだと思っています。今、住んでいる家が故郷になれば、家族や子供のトラブルなんかも、解決しやすくなるからです。

共通の感覚、あるいは、共通の感性といったものが、故郷によって培われ、それが、世代や立場を越えて、問題解決の糸口になるのではないでしょうか。
[2002.12]


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それぞれの家族 それぞれの住まい [ 住まい雑感]

家族の有り様は、その家族ごとに異なります。(あたりまえですよね。)では、なぜその住まいは、似たような間取りや同じぐらいの広さのリビング...なのでしょう。その家族の有り様が、住まいにあまり反映されていないのが、今の日本の住まい方ということなのでしょうか?

本来、多様な住まい方をすると考えられる人達を、同じような住まいに押し込めることで、様々な弊害が起きているのでは...と考えたりもします。

家族の問題、地域の問題、そして社会の問題なども、住む人と住まいとのギャップから生じてくるものもあるように思います。

家族の在り方が様々というのは、例えば、単身赴任のように、血の繋がりがあっても一緒に生活していない家族もあれば、グループホームのように、年老いてから、家族のように一緒に生活するような例もあったりします。

NHKの朝のテレビ小説「ちゅらさん」(もう終わってしまいましたが)の一風館のように、アパートの住民が、家族のように生活している場合もあります。

一風館を「家族」といってしまうのは、ちょっと抵抗がありますか? 
では、「家庭」というのは...

家族と家庭はどう違うんでしょうか。和英辞典によると、家族は、「a family;one's people」、家庭は、「a home;a family;a household」とあります。

「家族」には、「one's people」とあることから、人のことを言っていそうな感じだし、一方「家庭」といった場合には、「house...」とあることから、どうやら建物が絡んでいるようです。そして、「家庭」といった方が、「a family」の意味に近いような感じです。

例えば、血縁に関係なく、お互いに「family」だと感じた場合、その関係は「家族」であって、その時familyと感じるために「house」は大いに関係している...という感じでしょうか。

いずれにせよ、「それぞれの家族に合った家庭を生み出せる住まい」が必要とされているわけです。

[2002.12]


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住いをつくるということ [ 住まい雑感]

住宅を設計するということは、店鋪や事務所といった公共性をともなう建築物を設計することとは、根本的に異なる思考を必要とします。

「住まい」は、そこで生まれ育った人間の、空間の原点となります。例えば、私達が、「この部屋は狭い」とか、「この空間は居心地がいい」と考えるのも、原点として、私達が生まれ育った「住まい」との比較によって成り立っています(それは、無意識の場合がほとんどでしょうが・・・)。私達が生まれ育った「住まい」は、私達にとって、もっとも身近で、もっとも明確な「ふるさと」というわけです。

私達は、そうした「ふるさと」である「住まい」を原点として、新たに認識していった空間を位置付けしていくわけです。私達の行動範囲は、多分最初は、自分の周辺から始まって、だんだんと範囲を広げていき、社会と自分との関係性や、時には宇宙と自分との関係性に対しても、あれこれ考えるようになるわけですが、その時の原点はやはり、「ふるさと」である、生まれ育った「住まい」なのです。

ですから、住居を設計するということは、そこで生活する人達の原点を設計することに他なりません。原点を設計するということは、そこに生まれ、そこに生きる意味を明確にしてあげることだと思います。どれだけ実現できるかは、その時の諸条件によりますが、すくなくとも、このことだけは、住居をつくる人と設計をする人との間で、共通の認識を持っておくべきだと思います。

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